快便Happy
妊婦になってから余計にブログが遠のいた、、、、
やっぱり妊婦は無理してやっていたことは出来なくなるんだなぁ
でも、今、久々に書きたくなったので書いてみる。
今朝、とてもお通じが良くてすごくHappyになったの
あーーーー私は食べることより出すことに重点を置いていて
うまく出せると幸せなんだ!!と気づいた
こんな風に無意識な自分の気持ちを意識できることも
私とってすごく幸せなこと。
それだけで1日ウキウキ過ごせるくらいに🎵
それから、ここのところの妊婦ライフを振り返ってみたりするとより明確。
呼吸も思考も今まで捨てたくて捨てられずに抱えているココロの癖も
全部手放す方向になっている。
時にそれが表面化して悲しくて涙になってでたり、腰痛としてでたりする。
妊娠中は色んなことに気づきやすい。しかも、奥深くに閉じ込めていたような
普段は避けたいところを見ざるをえない感じになる。
ありがたいよベイビー
出産がデトックスとかっていう話しがあるけど
それってこういうことかと思った。
あ、そうそう
妊婦7ヶ月でマタニティーブリージングのワークに参加した時にも
やはり、出産には吐く息が大事だと言われた。
私は元来吸う息派なんだけど、やっぱここ数年本当は吐きたい!
と、願っていた。
出産まであと2ヶ月
吐いて吐いてシコリを手放すぞ〜
そして、出産当日に最高の気分で我が子を産みたい!
ーーーーーー呼吸について興味のあるかたーーーー
以下、前田さんの
ブリージング&リバーシング専門サイトより一部抜粋
http://www.eeiki.net
すう息は「受け入れる」「受け取る」という意志や積極性とかかわっています。
吐く息は「手放す」「与える」という放棄や委ねる質とかかわっています。
酸素を取り入れすぎるということはその時の意識が吸う息に比重を置いているからで
「受け入れねばならない」「受け取るべきだ」「取りこめ」との強迫観念にも似た意識が働いている可能性がある
と言えるわけです。
ではどうして、吐く息は吸う息と同等の深さ早さにならないのでしょう。
この呼吸のアンバランスさを説明するためには過呼吸になった人がもともと吐く息を制限している可能性について考えてみなければなりません。
つまり、「うまく手放せない」「手放しがたい」「手放すわけにはいかない」という観念が働いていないかどうかについて考えてみる必要があるのです。
逆に吐き出さずには居られない呼吸の意味を考えてみると、「これ以上は受け入れがたい」と、
吸う息を制限し、「手放さずにはいられない」「一気に手放してしまえ」「これ以上は抱えきれない」と、
吐く息を大量に押し出すいう本人にとって危機的状況が差し迫っていることがわかってきます。
実はこの現象はかつて封じこめてきた感情が出口や終焉を求めて暴走し始めたとも言えるでしょう。
感情を「手放す」こと「表わすこと」に罪悪感を持っている人達は、日常では 吐く息を制限することで自分自身を表わすまい、手放すまいとしてしまいます。
これが限界に達してこれ以上は留めてはおけない感情がある場合、呼吸のほうから先に体内に溜まってしまった炭酸ガスを手放すことで、感情とともにエネルギーを解放しようとするわけです。
やっぱり妊婦は無理してやっていたことは出来なくなるんだなぁ
でも、今、久々に書きたくなったので書いてみる。
今朝、とてもお通じが良くてすごくHappyになったの
あーーーー私は食べることより出すことに重点を置いていて
うまく出せると幸せなんだ!!と気づいた
こんな風に無意識な自分の気持ちを意識できることも
私とってすごく幸せなこと。
それだけで1日ウキウキ過ごせるくらいに🎵
それから、ここのところの妊婦ライフを振り返ってみたりするとより明確。
呼吸も思考も今まで捨てたくて捨てられずに抱えているココロの癖も
全部手放す方向になっている。
時にそれが表面化して悲しくて涙になってでたり、腰痛としてでたりする。
妊娠中は色んなことに気づきやすい。しかも、奥深くに閉じ込めていたような
普段は避けたいところを見ざるをえない感じになる。
ありがたいよベイビー
出産がデトックスとかっていう話しがあるけど
それってこういうことかと思った。
あ、そうそう
妊婦7ヶ月でマタニティーブリージングのワークに参加した時にも
やはり、出産には吐く息が大事だと言われた。
私は元来吸う息派なんだけど、やっぱここ数年本当は吐きたい!
と、願っていた。
出産まであと2ヶ月
吐いて吐いてシコリを手放すぞ〜
そして、出産当日に最高の気分で我が子を産みたい!
ーーーーーー呼吸について興味のあるかたーーーー
以下、前田さんの
ブリージング&リバーシング専門サイトより一部抜粋
http://www.eeiki.net
すう息は「受け入れる」「受け取る」という意志や積極性とかかわっています。
吐く息は「手放す」「与える」という放棄や委ねる質とかかわっています。
酸素を取り入れすぎるということはその時の意識が吸う息に比重を置いているからで
「受け入れねばならない」「受け取るべきだ」「取りこめ」との強迫観念にも似た意識が働いている可能性がある
と言えるわけです。
ではどうして、吐く息は吸う息と同等の深さ早さにならないのでしょう。
この呼吸のアンバランスさを説明するためには過呼吸になった人がもともと吐く息を制限している可能性について考えてみなければなりません。
つまり、「うまく手放せない」「手放しがたい」「手放すわけにはいかない」という観念が働いていないかどうかについて考えてみる必要があるのです。
逆に吐き出さずには居られない呼吸の意味を考えてみると、「これ以上は受け入れがたい」と、
吸う息を制限し、「手放さずにはいられない」「一気に手放してしまえ」「これ以上は抱えきれない」と、
吐く息を大量に押し出すいう本人にとって危機的状況が差し迫っていることがわかってきます。
実はこの現象はかつて封じこめてきた感情が出口や終焉を求めて暴走し始めたとも言えるでしょう。
感情を「手放す」こと「表わすこと」に罪悪感を持っている人達は、日常では 吐く息を制限することで自分自身を表わすまい、手放すまいとしてしまいます。
これが限界に達してこれ以上は留めてはおけない感情がある場合、呼吸のほうから先に体内に溜まってしまった炭酸ガスを手放すことで、感情とともにエネルギーを解放しようとするわけです。
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| 魔女日記 | 08:35 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑